Dec 23, 2009

両親と国内旅行に行きたいと思います始める

私も両親も、お互い仕事を持っているせいか、ここ10年以上正常に家族国内旅行はしていない。最近では旅行といえば、自分の中では完全に一人旅が定着してしまったのも行かない理由に拍車をかけていると思うが、もし親が日本人の平均寿命まで生きるができますように、後何回、国内旅行に行くのかと最近思うようにされた。それだけ私も両親も年齢が取ったということだ。
私は大学を卒業して4年か千切り。卒業旅行、友達と国内旅行に行きました。しかし、卒業旅行はやっぱり海外に行く​​べきだと考えています。就職するとなかなか時間が取れず、友達もお休みが合わずに行く機会がありません。学生時代はお金がなくても時間があるはずなので、アルバイトをしてお金を獲得し、負債も行くべきだと思います。
 「花火は希望の光」―。東日本大震災で被災した福島県須賀川市の花火業者「糸井火工」では、11日に被災地で一斉に花火を打ち上げるイベントを前に、従業員らが黙々と作業に打ち込んでいる。震災や原発事故で仕事は激減。糸井一郎社長(56)は「未来に向かって出発できれば」と願いを込める。
 創業は明治6年(1873年)。「地元で生き抜いてきた零細企業」(同社長)だが、大きな揺れで工場は壊れ、地盤も沈下。従業員らと4月下旬までかかって改修した。
 5月の連休明けに仕事を再開したが、福島原発周辺での花火大会が軒並み中止に。「業界は危機的な状況。先が全く見えなかった」。従業員の半数近くを知り合いの会社に預けた。
 そんな中、8月11日に花火を打ち上げるイベント「LIGHT UP NIPPON」の発起人高田佳岳さん(34)=東京都=が来訪。花火が持つ鎮魂という意味に触れつつ協力を頼む姿勢に「そこまで認識しているとは。若者にしては珍しい」と感心、参加を決めた。
 今年の仕事は例年の5割。それでも糸井社長は「地震に津波、それに原発。ゼロかと思ったが、半分も頂いた。県内で開催を決めた大会もあり、県民の復興への思いは強い」と話す。従業員も大半が戻ってきた。
 現在はイベント直前で最終調整に余念がない。「大げさに言えば、花火は万人が喜べる光。希望の光かもしれない」。11日は福島県いわき市と南相馬市で計約5000発を打ち上げる。 

【関連記事】
〔写真特集〕被災地の夏
〔写真特集〕福島原発
【動画】10メートルの大津波を乗り越える巡視船「まつしま」=東日本大震災
【特集】原発事故は人災〜佐藤・前福島県知事インタビュー
【特集】ソーラーパワー〜節電時代の救世主〜


2011年8月7日、かつて最高時速321.5キロという驚異的な速さを記録した中国の国産高速鉄道「中華之星」。華々しいデビューを飾った日本、フランス、ドイツの“血筋”を引く高速鉄道車両「CRH」の陰で、ホコリまみれになりながら解体されるその日を待っている。新金融観察が伝えた。

【その他の写真】

「中華之星」が国家プロジェクトとして期待を一身に背負い、始動したのは2000年のこと。投資総額は1億3000万元(約15億7000万円)。国家予算から4000万元(約4億8000万円)、鉄道部から4000万元を拠出し、5000万元を企業が負担した。列車メーカー主要4社すべてが参加した。

2001年8月、試作品の製造開始。そして、2002年11月、試験走行で最高時速321.5キロをマークした。この瞬間、「中国が独自設計し、完全な知的財産権を所有する高速鉄道列車」に対する注目は一気に高まり、マスコミも大々的に報道。当時の鉄道部長は「中国は高速鉄道の時代に突入した」と高らかに宣言した。

当時を知る専門家はこう語る。「当時も外国の技術を導入したが、そっくり真似ることはなかった。今のように設計図まで外国のものをそのまま使うなんて考えられなかった」。

知らない人が多いと思うが、中国は自らの高速鉄道技術の向上のため、「二股」をかけた時代があった。当時、日本の新幹線車両で採用されている「動力分散方式」と欧米で主流だった電気機関車と客車の組合せによる「動力集中方式」の2つがあったが、後発組の中国としては動力集中方式を学びながら、新幹線方式も研究しようということになった。このことは当時、機密扱いだった。

北京と上海を結ぶ「京滬高速鉄道」でどちらの方式を採用するかを決める、極秘の専門グループも発足させた。上述の専門家は「高速鉄道技術のすべてを独自開発する必要はないというのが、同時の方針だった。京滬高速鉄道では新幹線方式を採用する考えが強かったが、結局、公開入札を行った。最初から新幹線を選ぶことが分かったら、日本が価格を吊り上げると思ったからだ」と語る。

「中華之星」は90%以上が“国産”だったが、ベアリングや重要な部品は輸入に頼った。独自の知的財産権を持つことがイコール「完全な国産化」という考えではなかった。海外から部品を調達することはどこの国でもやっていることだという認識があったからだ。

ところが、試験走行が間もなく終わる頃、ボギー台車が正常に作動していないことを示す警報が鳴った。使用されているのは輸入部品だ。当時、最も懸念されていたのは設計面での欠陥ではなく、実は設計通りに作る能力があるかどうかだった。国内の工場には旧式の設備しかなく、労働者の質やそれを管理する人材も明らかに不足していた。安全面に対する不安が、こうして広がっていった。

そして、2003年3月、鉄道部の部長が劉志軍(リウ・ジージュン)氏に代わると、「中華之星」の運命は一気に下降線をたどっていった。劉氏は2004年8月、京滬高速鉄道の入札を行う際、国内企業の参加条件として海外企業との合弁を挙げた。これで、「中華之星」は完全に、表舞台から姿を消すことになった。

そして、2006年8月、「中華之星」は瀋陽の車両基地に“封印”された。後は解体されるその日を待つのみである。(翻訳・編集/NN)


【関連記事】
どうなってるの高速鉄道?他人の身分証でチケット購入&乗車が可能―中国
先祖代々の墓の「風水」を壊された!高速鉄道の建設工事が一時中断に―香港
高速鉄道事故の影響ここにも、沿線都市で不動産取引が大幅減―中国
高速鉄道より高速道路が安全!長距離ドライブに最適な国産車はこれだ―中国
<高速鉄道脱線事故>中国共産党に残された時間は長くない、揺らぐ政府の信頼性―米大学教授


Posted at 14:57 in Plant | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.